第38回 少子高齢化の並をどう乗り越えるか?
先月11月末に日本に行ってきました。気温は夜や朝方は冷えるものの、日中は20度近くになったりしましたので、調整が難しかったです。
特に冬服を着込んで電車に乗りますと気を使っているのか「車内暖房」が効きすぎて開ききった毛穴から汗がドッと出てきます。外気との気温差でうまく調整ができませんでした。
横浜市内にあるとある企業を訪問した際にも到着に焦っていたこともあり、コートを来てその会社のドアを開けた瞬間、今度は「社内暖房」でメガネが曇り、汗が止まらなくなっていました。
温度の低いサウナに入っている感じでした。とにかく、暑いのは東南アジアに15年住んでいますので慣れているのですが、人工的に作られた「暑さ」にはどうしても慣れませんでした。
さて、街を歩いていますと、やはり日本は少子高齢化が急速に進んでいると感じます。公園には子供はいませんし、日中のバスは杖を持参のご年配の方の乗車が目立ちます。
某牛丼チェーン店には、アジアからの留学生の中に、初老の方が働いており、若年層に敬遠されがちな飲食業の人出不足が現れていました。
また滞在中に、40代後半の女性が両親の介護に疲れ、軽自動車で川に突っ込み両親の「自殺幇助の罪」で逮捕されるという痛ましい事件もありました。相当追い詰められていたことが想像できます。
以前、筆者がタイの人材会社の経営をしていた時に、ロングステイ・プロジェクトがありました。
日本の年金受給者をタイに住ませる事で、主な条件はタイの銀行口座に貯金を80万バーツ(約240万円)置いておくことで2000年当時かなり注目されました。
またタイで育てた看護・介護要員を日本に派遣するモデルも検討しましたが、単純労働を受け入れない日本の法律の壁にぶつかり、また「日本語」という学習が難しい言語の壁もあり、なかなか前進しませんでした。
また日本でもケアーを必要としている方にヒアリングを致しましたが「肌の黒い人に背中を洗ってほしくないなぁ」というある面「本音」も聞くことができ、次第にプロジェクトも萎んでいきました。
その後15年の月日が経ち、前述のような「無理心中」や介護のために会社を辞めざるを得ない「介護辞職」が毎日のようにニュースになる現状、もはや労働力の輸入は必須なのではないでしょうか?
勿論、資格を取れば日本の介護もできますが、合格率は全く高くなく、その時点で働く意欲を削いでいます。
日本以外の先進国でも少子高齢化は急速に進んでおり、ドイツではフィリピン人看護師を大量に受け入れています。
以前アキノ大統領が日本政府に対して「早く門戸を開かないと人材が売り切れてしまいますよ」と警告しました。現在まさにそのような状態が続いています。
勿論自助努力により支え合う社会は必要ですがもはや70代の子供が90代の親を介護している状況、また介護疲れ・介護辞職による経済的損失を考えますと、労働力の輸入は必要不可欠と感じます。
シリアからの難民を介護要員として受け入れるのも国際貢献になり一考の価値があるのでは?と一瞬思いますが、昨今のテロ頻発の状況下、現実的には難しいかもしれません。
ただもはや「肌の黒い人」に来て頂くだけで有り難いと思いませんと「売り切れ」になってしまう危惧を今回の来日で強く感じました。
幸いにして、日本を訪れる東南アジアの観光客は年々増えています。特にタイやインドネシアはビザ取得の義務がなくなりましたので益々増えてくことが予測されます。
その中で将来は日本の介護現場で働いてみたいという人を「受け入れる」のではなく「獲得」していくことが肝要ではないでしょうか?
Daily NNA 2015年12月10日号「東南アジア人「財」羅針盤」より抜粋
コラム執筆者
-
1966年東京生まれ。大学卒業後、小売・流通チェーン「ヤオハン」に就職。1993年より香港本社へ転勤後一貫して人事に携わる。同社清算後も大手人材紹介会社「パソナ」のタイ現地法人社長を務めるなど複数社で人事・経営に携わる。
2006年、タイ国立マヒドン大学経営大学院にて経営学修士取得後、シンガポールにグッドジョブクリエーションズを設立、2014年に同社売却。
2014年6月、シンガポールに、プロの人事集団「プログレスアジア・シンガポール」を設立。真に東南アジアでビジネスを展開する中小企業をサポートすることを使命に再び起業の道を歩む。
最新コラム
- 2024年11月16日コラム第233回:最新の人口統計からの人事戦略
- 2024年10月31日コラム第232回:シンガポール人のエンジニアを雇いたい
- 2024年9月24日コラム第231回:MICEビジネスの活性化
- 2024年8月23日コラム第230回:再雇用制度について