第67回:本帰国命令が出てしまって・・・その2

先週インドネシアのボロブドゥールとバンドンに行ってきました。インドネシアのボロブドゥールはイスラム国家のインドネシアに何故か仏教遺跡として残っている観光名所です。最寄りの空港はジョグジャカルタ国際空港で、インドネシアのジャワ島の地方都市ですので空気が軽いやかに感じました。

東南アジアにおける世界三大仏教遺跡は、カンボジアのアンコールワット、ミャンマーのパガン遺跡、そしてこのボロブドゥールと言われています。軍事政権時に現代風に修復し過ぎでパガン遺跡はユネスコの世界遺産にはなっていませんが、アンコールワットとボロブドゥールは世界遺産です。ただ、ボロブドゥール遺跡を見た時は、個人的にはそれほどの感動はあまりなく(タイでそういう遺跡をたくさん見てきたためか)「所詮はその時の王族の墓じゃん」という感じでした。

バンドンは街が既に高地(標高720m)にあり、夜は<涼しい>感覚を覚えます。かつては、ジャカルタから2時間ということもあり、ジャカルタ在住の富裕層の避暑地となっていましたが、現在は人口も車も増え続け、環境汚染が広がっています。バンドンは学術都市ですので、若い学生が目立ちました。

さて、前号に続き「帰国命令」が出てしまい、会社を退職することにしたものの、その後悩んでいる方の事例を紹介します。3月4月は人事異動の時期であり、日本独特の採用習慣でもある4月1日一斉新入社員入社(今年は4月3日月曜日がメインの日になりそうです。)で新規採用を行います。その際に既存社員の「人事異動」も事前に発動され、社内組織の活性化を促します。

少々話がそれますが、筆者がヤオハンの香港拠点で人事部のマネージャーをしていた頃、やはり、春先の一番の関心事は「人事異動=昇進」であり、その日が近づくと、先輩社員や同僚が「探り」を入れてきました。「本当は知っているでしょ、教えてよぉ」と揺さぶりを掛けられましたが、発動日までは箝口令が敷かれており、人事の仕事を全うしました。

今回のお悩みの方は、少々複雑な個人的な背景があります。3年前に日本からの出向で家族と共に赴任をされましたが、現地の女性の方といわゆる不倫関係になり、離婚してその現地女性と一緒になることを決断しました。会社としては個人的な問題であるものの、日本から出向している正社員でしたので、日本の地方都市での帰任を命じました。

現地女性と一緒に暮らす拠点はシンガポールと決めていましたので、残留を希望しましたが主張は通らず、遂に3月末で退職という道を選ばれました。もしかしたら、会社としては人事発令により「厄介払い」をしたのかもしれません。

幸い住む場所があり、新しいパートナーの方が仕事をしているので、しばらくは生活に困らないようですが、私には仕事を探して欲しい相談をされました。この方は今までの駐在員としての立場で働き、「会社」という「箱」の中の一人でしたので「箱」を飛びだした後、現地採用の人材としてどのくらいの「市場価値」があるのか、あまり考えたことはありませんでした。仕事ありきでなく、女性ありきですので、とにかくシンガポールに住む事が主目的になっています。

筆者の知人も含め何社か声を掛けましたが、特に技術者でもなくまた経理の資格も保持していない「普通の方」ですので、なかなかすぐには適職が見つかりそうではありません。だんだんと「なんでもいいから」と話されるようになってきており、悩み始めてきました。

この方の場合、家族を捨て、正社員である仕事を退職し、現地の方と一緒に住まれられることを人生の選択とされたのですから、東南アジアを舞台に活躍して頂きたいものです。

弊社斉藤連載中Daily NNA 2017年3月16日号「東南アジア人「財」羅針盤」より抜粋

コラム執筆者

斉藤 秀樹
斉藤 秀樹プログレスアジア 代表取締役
1966年東京生まれ。大学卒業後、小売・流通チェーン「ヤオハン」に就職。1993年より香港本社へ転勤後一貫して人事に携わる。同社清算後も大手人材紹介会社「パソナ」のタイ現地法人社長を務めるなど複数社で人事・経営に携わる。
2006年、タイ国立マヒドン大学経営大学院にて経営学修士取得後、シンガポールにグッドジョブクリエーションズを設立、2014年に同社売却。
2014年6月、シンガポールに、プロの人事集団「プログレスアジア・シンガポール」を設立。真に東南アジアでビジネスを展開する中小企業をサポートすることを使命に再び起業の道を歩む。