第37回 東南アジア最後のフロンティア「ミャンマー」とは?

先般サッカーワールドカップのアジア二次予選、シンガポール代表と日本代表の試合がありました。

ただでさえイベントの少ないシンガポールですので、在シンガポール日本人社会ではほとんどの人が興味を示しました。筆者はシンガポールのホーム側のチケットを数枚友人に確保してもらい日本語のできるマレーシア人と一緒に観戦しました。

試合は当初の予想通り3-0で日本代表が勝ちました。せめて一点でも返してくれればホーム側も盛り上がったのですが、シンガポールはゴールキーパーの好セーブは随所見られましたが、あまりいいところ無く終わってしまいました。

サッカーワールドカップ予選

ホーム側では流石にシンガポール人サポーターの方が多かったですが、その中に長期で滞在している日本人の家族やアウェイ側を買えなかった日本人サポーターが数多く目につきました。

また私の前に座っていましたシンガポール人の家族は日本代表を応援していました。そもそもやっと建国50周年を迎えた国ですので愛国心より「強いもの」を応援することでアイデンティーを保とうとしているのかもしれません。

さて、東南アジアでは「アジア最後のフロンティア」と呼ばれているミャンマーの総選挙があり、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝し、与党が敗北をすんなりと認め、来年2016年の3月には政権交代がほぼ確実視されました。

筆者が2006年人材会社を立ち上げた際に最初に採用したスタッフの一人がミャンマー国籍の人で非常に真面目な性格で休みの日も積極的に出社したりして一生懸命仕事をしてくれました。

休みの日に彼女の家に食事に招かれた際にはスー・チー氏の写真が飾ってありましたが、当時はまだ軍事政権でもしスー・チー氏の写真を持っていることが密告されたら逮捕されると真剣に怯えていました。それほどミャンマーの「軍事政権」は国民にとっては恐怖政治でした。

ミャンマーはかつて、ビルマと言われており、タイではミャンマー人のことを「バーミー」と言わば少し蔑称な様な形で呼ばれていたりします。

タイ北部のアユタヤの遺跡は「バーミー」との戦争の時に壊滅的に破壊されており今でもそのまま展示しています。かつてタイのアユタヤ王朝(約500年前)とは宿敵関係でした。

筆者がタイ在住の際は、住み込みでミャンマー国籍のメイドさんがいました。単一民族の日本人から見てみれば「ミャンマー人」と一括りにしがちですが、彼女は少数民族の「カレン族」で国内の70%を占める「ビルマ族」とは常に存亡を掛けた闘いを繰り返してきました。

迫害を恐れタイに逃げてきた彼女達は家族を助けるためにタイでメイドのような単純作業を出稼ぎとして働いています。その他にも少数民族は多数あり、また宗教もいくつかあり、いわゆる多民族国家を形成しています。散発的な民族・宗教紛争も起きています。

人口は2014年の国勢調査では約5千1百40万人で近隣のタイの同時期の人口6千7百万人に匹敵する人口です。

地理的には北は中国雲南省、西はインド、バングラデシュ、東はラオス、南はタイとタイ側ではダイバーもハマってしまうほどの綺麗なアンダマン海の海岸線を国土としており、この2千kmに及ぶ海岸線とその近隣の島々のリゾート開発もまだ手付かずのことから、観光資源としてもかなりの潜在的なチャンスを占めています。

経済的には日本の3大メガバンクが相次いで支店が認可され、またタイと似た構造かもしれませんが、広大な敷地に日系企業とりわけ製造業が進出できる「工場団地」の建設も急ピッチで進められています。

民主化の流れにうまく乗っていき経済成長をしていけば、まさに「フロンテイア」がビジネスの「フロントライン」になる可能性を占めています。

Daily NNA 2015年11月19日号「東南アジア人「財」羅針盤」より抜粋

コラム執筆者

斉藤 秀樹
斉藤 秀樹プログレスアジア 代表取締役
1966年東京生まれ。大学卒業後、小売・流通チェーン「ヤオハン」に就職。1993年より香港本社へ転勤後一貫して人事に携わる。同社清算後も大手人材紹介会社「パソナ」のタイ現地法人社長を務めるなど複数社で人事・経営に携わる。
2006年、タイ国立マヒドン大学経営大学院にて経営学修士取得後、シンガポールにグッドジョブクリエーションズを設立、2014年に同社売却。
2014年6月、シンガポールに、プロの人事集団「プログレスアジア・シンガポール」を設立。真に東南アジアでビジネスを展開する中小企業をサポートすることを使命に再び起業の道を歩む。