第189回:退職届が出る前に

シンガポール政府は3月24日、日本を含む全世界からの入国規制を緩和すると発表しました。

4月1日から、新型コロナウイルスのワクチン接種証明を完了しており、出発前2日以内にPCR検査や迅速抗原検査(ART)で陰性を証明できれば、短期旅行者も含めて入国できるようになりました。

大きな改善点は、入国後の検査に加え、入国後の自宅などでの待機措置が不要になったことです。これまで日本からの渡航者は7日間の隔離が必要でした。

昨年5月に日本から入国された方と話す機会がありましたが、その方の入国時はシンガポール政府が厳しい水際対策を取っており、待機期間が14日間から途中で21日間に変更になり、かなりきつい経験をされていました。いまは当時の体験も「良き思い出」になっているとのことでした。

また国内では、3月29日からグループ活動や店内飲食の人数制限が従来の2倍の10人に緩和されました。職場への出社に関する規制も緩和され、在宅勤務が可能な従業員が出社できる割合は従来の50%から75%まで引き上げられました。

オフィス街では昼食時の人出が新型コロナ禍前の水準に戻りつつあります。ショッピングモールでも週末はかなりにぎわうようになりました。ただ大幅な規制緩和に伴い、飲食店や小売店での人手不足が深刻化しており、採用計画の上方修正が目立っています。

弊社顧客のある飲食店では、シェフが他社からの条件の良いオファーを受けたため退職の意向を示し、経営者がなんとか引き留めようと賃金の上乗せを試みました。

しかし本人の意志は固く、諦めざるを得ませんでした。代わりの方を急いで探していますが、ただでさえ応募者の少ない労働市場で、技術職というニッチなポジションのため、すぐに後任が見つかるとは限りません。

この飲食店は、コロナ禍で逆境に耐えながら昨年11月に売り上げがやっと戻りはじめ、今後観光客の増加に伴い業績の向上を見込んでいました。先行きに対する期待が大きかったところにシェフが退職するとあって、お店にとっては致命的な打撃です。

重要なポジションを担う方の退職(あるいは外部からのオファー・引き抜き)を回避するためには、労働市場に即した待遇(給与、賞与)や有給休暇日数の付与が必要です。また賃金体系を変える場合には、雇用契約書にある退職告知期間を退職日の3か月から6か月前に変更すべきです。

退職届が提出されてからでは、引き留めは十中八九無理と考えた方がいいでしょう。既に本人が転職先の人との話し合いを進めている可能性が高いからです。

正社員の引き留めに失敗した場合、次の方が見つかるまでの期間中にパートで来てほしいと高い時給での一時的に残留をお願いすることも可能です。

上述の飲食店の場合、退職を申し出たシェフに一時的な残留で高い時給を提示したところ、店舗に愛着もあることから同意してもらいました。

ただ、万人に「職業選択の自由」があるため、過度な引き留めは他の社員にとってもあまり良い印象を与えません。

退職者の問題を抱えている場合は、弊社のようなエージェントを通じて「エグジット・インタビュー(退職者が会社を離れる前に実施する面談)」を行い、組織の問題点をヒアリングすることで次の雇用につなげることもできます。

社員は恒常的にいるとは限らないので、経営者は予防策も含めて労働市場に合った待遇面や働きやすい環境をチェックする必要があります。

弊社斉藤連載中Daily NNA 2022年4月7日号「シンガポール人「財」羅針盤」より抜粋

コラム執筆者

斉藤 秀樹
斉藤 秀樹プログレスアジア 代表取締役
1966年東京生まれ。大学卒業後、小売・流通チェーン「ヤオハン」に就職。1993年より香港本社へ転勤後一貫して人事に携わる。同社清算後も大手人材紹介会社「パソナ」のタイ現地法人社長を務めるなど複数社で人事・経営に携わる。
2006年、タイ国立マヒドン大学経営大学院にて経営学修士取得後、シンガポールにグッドジョブクリエーションズを設立、2014年に同社売却。
2014年6月、シンガポールに、プロの人事集団「プログレスアジア・シンガポール」を設立。真に東南アジアでビジネスを展開する中小企業をサポートすることを使命に再び起業の道を歩む。